凱旋する日本の技と美
オールドノリタケ
明治・大正時代、アメリカでヨーロッパの高級陶磁器としのぎを削りつつ、日本人の高い技術と感性で作り出してきた品質と美。
一世紀以上の歴史を経て凱旋し、私たちの目と心に感動をもって迎えられています。
成り立ちと歴史
日本初の貿易商社を設立して
明治初頭、欧米との不平等な貿易に疲弊する日本経済を憂え、
貿易商・森村市左衛門は福沢諭吉らの示唆によって、外貨獲得を目的に森村組を創設。
ニューヨークに日本初となる貿易商社「森村ブラザーズ」を設立し陶磁器などの輸出を始め、貿易業へのスタートを切りました。
輸出を開始した当初はジャポニズムの風潮もあり、人気のあった日本の陶磁器はやがて飽きられ始めます。
当時、ヨーロッパではビクトリア王朝の優雅で華麗なデザイン様式が人気を得、
アメリカ市場でもそのようなデザインが中心になっていました。
森村組はアメリカ市場の要求に応えるため、ビクトリア朝風のデザインに取り組みます。
その後も市場の動向を取り入れたデザインに取り組みつつ研究を重ね、
日本の最高の技術と芸術により作り出された日本独自の西洋陶磁器は、
工業的に優れた技術と伝統的な感性・テクニックが融合した芸術品として高い人気を博しました。
そして一世紀を経た今、「オールドノリタケ」と呼ばれ、世界中のコレクターに愛されているのです。
ヨーロッパにおける陶磁器の発展と森村組の取り組み
1600年代初頭、伊万里焼を生み出した日本は東インド会社によるオランダ貿易によりヨーロッパの王族・貴族に愛された優れた陶磁器を作り続けていました。
しかしヨーロッパでも各地の王族・貴族はお庭窯として、独自の白磁器を生み出してきました。
1710年ドイツのアウグスト強王の厳命により、ドイツ・マイセンの地に初めて白磁器が登場します。
1738年フランス・パリ東部ヴァンセンヌに開窯されたセーブル、
1771年フランス・リムーザンのリモージュ窯、
1735年イタリア・フィレンツェにジノリ侯爵による開窯。
1775年デンマークではロイヤルコペンハーゲン工房。
1759年イギリスでジャサイア・ウエッジウッドに寄ってウエッジウッド社。
1793年イギリスでミントン社
などヨーロッパ各地に白磁陶磁器メーカーが設立され、
多くの王族・貴族を始め上流階級の嗜好に合わせた、
当時の最新の多彩で華麗なデザインが次々に開発されていました。
それに対し鎖国を続けた日本の初期の輸出陶磁器は初期伊万里に見られる灰色味を帯びた生地に九谷風百老人や武家侍・女芸者風模様、南画風景・雪中模様などのオリエンタリズムの純日本風作品がほとんどでした。技法も玉子茶ぼかし、金盛り、金ダミ白ぬき、円子ぼかし、金唐子など画工の工夫による陶磁器を制作していました。
ヨーロッパ各地の陶磁器メーカーがその技術やデザインにしのぎを削り斬新な製品を開発している中、純日本風陶磁器の図柄はやや時代遅れになっていました。
アメリカは建国から百年、経済的発展とともにヨーロッパからの絢爛豪華で華麗な陶磁器を欲するようになっていました。アメリカで展開していく森村組にとって欧米人の趣味・嗜好・デザインを取り入れた洋風デザインを工夫しなければ販路は拡大できなくなっていました。森村市左衛門が日本陶磁器の西洋風デザインに変革することを決断するに迷いはありませんでした。
明治26年のシカゴ万国博を視察し、世界の動向を見た森村は陶磁器の見本をはじめ、絵具・絵筆などを買って帰り、日本各地の森村専属工房にて試作を重ね、ドレスデン風草花散らしデザインを作り出しました。洋画を知らず日本画しか経験のなかった当時の絵師たちは当初は反発しましたが、森村らの国を思う熱意に動かされ、制作に協力したのです。
このことが日本の技術と洋風デザインの融合を生み出し、その後の発展の礎となったと言えます。
日本陶器合名会社創立とオールドノリタケ
ニューヨークの森村ブラザーズの発展に合わせ国内の森村組も生産効率を高めていきました。
明治37年(1904年)愛知県愛知郡鷹羽村大字則武字向510の地に一環生産工場をつくり、新会社、日本陶器合名会社が誕生しました。
この地は幾多の行政区画を経て現在は名古屋市西区則武新町1丁目1番地と改称されています。その地名がノリタケのブランドネームとなり社名となり、現ノリタケカンパニーリミテッドとなったのです。
現在オールドノリタケの呼称で親しまれている陶磁器は森村組・日本陶器時代に製造され、輸出された作品を指しています。
森村コンツェルンーノリタケグループ
日本ガイシ:
明治40年ころ、水力発電への転換により可能になった遠距離送電。
送電のために輸入に頼っていた送電用高圧碍子を芝浦製作所(現東芝)の依頼で作った碍子製造が部門が独立し、後の日本ガイシ株式会社となります。
TOTO:
森村組重鎮大蔵孫兵衛の長男・大倉和親は輸入に頼っていた衛生陶器の製造研究に乗り出し、大正3年水洗便所用の大・小便器を完成させます。洋風衛生陶器の国産第一号です。
翌大正5年日本陶器から分離独立し、東洋陶器株式会社(現TOTO株式会社)となります。
大倉陶園:
英国の粉骨焼(ボーンチャイナ)、フランスセーブル焼、イタリアジノリ焼以上の世界的美術陶芸磁器を制作するため、採算を度外視して始めた事業でした。陶芸家を育成することも使命の一つでした。
作られた陶磁器はセーブルのブルー、オークラのホワイトと称賛され、いまなお宮内庁に納められる作品を作り続けています。
LIXIL:
明治中期に入り、都市の下水道整備や鉄道の敷設に使われる土管の製造が盛んになりました。陶業を家業としていた伊奈初之丞は機械化による陶管の量産を計画しました。しかし、資金調達に苦労し、日本陶器の大倉和親に相談します。大倉がこれを承諾し、大正10年に組織を設立、伊奈初之丞の長男・伊奈長三郎を社長に匿名組合を設立します。それが伊奈製陶となり、INAXになります。
現在は、トステム・新日軽・サンウェーブ・東洋エクステリアとの共同事業体としてLIXILとなりました。
日本特殊陶業:
当時の自動車産業の中心地デトロイトで点火プラグの工場を見学し、国産するべきと考え、日本碍子内に研究チームを作り、大正5年、国産初の点火プラグを完成させ、NG点火プラグ(のちのNGK)を発売します。
昭和11年日本碍子から独立し、日本特殊陶業株式会社となりました。
『一業一社』の理念の下に
国を思う企業理念により世界最大のセラミックス企業グループとなり、
現在も世界中で躍進・活躍しています。
また『一業一社』という理念の下、独立を進め各企業が得意分野でリーダースカンパニーとなっています。
オールドノリタケのデザイン
時代と技術と作品デザインの変遷
オールドノリタケのデザインは国際色豊でタイムリー
森村ブラザーズの初代デザイナー和気松太郎は日米を十数回往復し、アメリカの最新の流行を日本の画工に伝えることに務めました。
週末は公園に出かけたり、復活祭やクリスマスなど着飾った人が集まるニューヨーク五番街の角に立って一日中観察し、女性の帽子や洋服から流行をいち早くとらえ、そのデザインを陶磁器に写しこむ画帖を作り日本に送り込んだのです。
そしてヴィクトリアから、ベル・エポック、アール・ヌーヴォー、そしてアール・デコまで時代の最先端のデザインを採用し続けました。
国際色豊で伝統的デザインとの融合、洗練された芸術美、実際にその作りだされた陶磁器たちは世界中のコレクターを魅了し、愛されました。
ファックスや電子メールのない時代です。
画帖はニューヨークから大陸横断鉄道に乗せ、さらに船で横浜まで運ぶため、膨大な時間を掛けて送られました。
さらに生産に時間を掛けると流行に後れてしまうため、わずかな時間で陶磁器を完成させ出荷するというシステムを作り、時代の流れに遅れない事業を成し遂げました。
デザインの変遷
[ クラシック ]
欧米のユーザーの嗜好が西欧の王朝風の絢爛豪華な陶磁器にあることを掴み、
デザインの大転換を図りました。初期のオールドノリタケの作品です。
ビクトリア王朝風の華麗なフォルムに、コバルトや金をふんだんに使い、
盛り上げ技法やくさらし(エッチング)技法など独自のデザインが数多く開発され、品の良い豪華さを醸し出しています。
主に花瓶や飾り壷、ティーセット、喫煙具や化粧具類などのファンシーウエア(嗜好製品類)を中心に、
非常に多くの種類の製品が作られました。
その美しさがオールドノリタケの魅力を確固たるものにしています。
[ アールヌーヴォー ]
1900年のパリ万博を境に爆発的な流行となった芸術様式です。
それまでのアカデミックな格式張った芸術から飛び出し、自由な素材、自由なモチーフを使い、さまざまな分野に大胆な表現を可能にしていきました。
建築では、バルセロナのサグラダファミリアやパリの地下鉄の入り口などが有名です。
工芸品ではエミール・ガレのガラス工芸などがあります。
アート分野では草花や昆虫・動物などがモチーフになることが多く、
オールドノリタケの図案にも良く使われています。パステル調のタッチで流れるような曲線が特徴です。
[ アールデコ ]
第一次世界大戦が始まると、装飾性の高いアールヌーヴォーから、
キュビズムや古代エジプト、アステカ文化の装飾、さらに日本や中国など古今東西のデザインの影響を受け、
幾何学模様や原色による対比表現などに特徴があるアールデコへと流行が移ります。
より低コストで大量生産とデザインの調和が得られ1925年、パリ国際装飾美術博覧会(別名アール・デコ博)で花開きます。
大正期のオールドノリタケはこのデザインを取り入れ、
モールド技法を取り入れた立体的な製品にラスター彩を施した製品で非常に高い評価を得ました。
整形技法
[ 盛り上げ ]
盛り上げとは、陶磁器の表面に粘土等で盛り上げ、立体的な装飾をする技法であり、オールドノリタケの最も知られている技法である。欧米でも「MORIAGE」と呼ばれて親しまれています。
盛り上げには様々な技法がある
[ 一陳盛り ]
この技法は一陳(イッチン)という道具を使うもので、現在も陶芸技法として使われています。
一陳は江戸時代の日本画家・一陳斎(久隅守景の雅号)が考案したことから名づけられたと言われています。
もともとは京友禅や加賀友禅の染糊線を描くための道具だったが、これに絵の具の代わりに泥漿(粘土を水で溶いたもの)を入れて陶磁器の表面に描くことにより、繊細な表現ができるのです。
大変美しい装飾ができるため、この技法で装飾された作品には高い評価を与えられています。
[ 金盛り ]
素焼きした陶磁器に絵付けをしたり地色を塗った上に、泥漿で点や絵などを描いて一度焼成し、さらに金漿を筆や刷毛を使って塗り被せる方法です。
あたかも金で盛り上げてあるかのように豪華に見えます。
[ 金点盛り(ビーディング) ]
点盛り(素焼きした陶磁器に泥漿をイッチンで点状に盛り上げる)をして焼成した上に、金を丹念に一つ一つ塗っていく方法です。
大変細かく根気のいる作業であり、かつ大変美しい技法です。
[ アクアビーディング ]
水色の泥漿で点盛りしたもので、あたかも水の泡のように見え、大変珍重されている技法です。
[ エナメル盛り(ジュール) ]
主に金彩と併用される技法です。
金彩や金盛りの上にエナメルを注射器のような道具で点状に盛り上げたもので、宝石のような美しさがあるためジュールと呼ばれています。
[ ウエッジウッド風 ]
イギリス・ウエッジウッド社の代表的な製品に、粘土をカメオ状に型にはめて作った柄を張り付けて作るジャスパー法と呼ばれるものがあります。
オールドノリタケ製品は、一見してウエッジウッドのジャスパー法で作られたように見えますが、型にはめるのではなくイッチンや竹ベラ、筆などを使って盛り上げて作られています。
ウエッジウッドを意識して作っていたということでしょう。
その他の盛り上げ技法
その他、「泥漿盛り上げ」「蜘蛛の巣盛り上げ」「レース盛り上げ」「ガレ風盛り上げ」など、多種多様な技法を使った製品があります。
その他の技法
オールドノリタケには、盛り上げ以外にも独特の様々な技法が使われています。
[ 腐らし、金腐らし(エッチング) ]
版画のエッチングの技法を使った方法で、森村組では「腐らし」と呼ばれていた。
時期のまま残したい部分にはコールタールの神を貼りつけ、フッ化水素の溶液に漬けます。
コールタールの貼られていない部分は腐食して艶が亡くなりくぼみのようになります。
そこに彩色や金彩を施すとマットのような感触になり、コールタールを貼った部分は艶があるためはっきりと区別できる。
大変風合いのあることからオールドノリタケの代表的な技法として評価されている。
[ タピストリー(布目仕上げ) ]
整形直後の柔らかい生素地に、麻布のような粗い目の布、または絹のような細かな布目の布を貼り付けて焼きます。
焼くと布は燃えてしまい、布目だけ残ります。
その地肌に絵柄を描くと油彩用のキャンバスに描いたように見え、独特の風合いが得られます。
作られた数が少ないため希少価値があります。
[ モールド(石膏型でレリーフを造形) ]
石膏で器の型を作り、油で捏ねた粘土で人物や動物などの形を盛り上げて貼りつけます。
それを基に原型を作り、石膏などで使用型を作ります。
その使用型に泥漿を流して生素地の器を作り800~1100度の高温で焼成します。それに彩色を加えると立体的なレリーフが浮かび上がります。
大変手間のかかることから希少であり、高い評価を得ています。
絵付けのいろいろ
オールドノリタケの絵付けは独自のものにヨーロッパの技法なども柔軟に取り入れ、豊富なデザインを作り出し、そのことによってさらに高い評価を受けることになりました。
ハンドペインティング(手描き)
陶磁器の裏印にもHand paintの文字が書かれています(すべてではありません)が、基本はすべて手描きで絵付けされています。
その絵付師は、廃藩置県で免職となった各藩の絵師(日本画家)たちも多く、しっかりした技術力を持っていました。
また、大正、昭和期には日本洋画界で名のある作家もノリタケで絵を描いていました。しかし、工業製品であるため作者のサインはありません。
とはいえ中にはわからないように作家のサインが入っているものもあり、作家のプライドを垣間見たりすることもあります。
[ ぼかし(暈し) ]
オールドノリタケの特徴的な絵付け技法のひとつとしてぼかしがよく使われています。
ぼかしは伝統的な日本画の技法であり、ヨーロッパ製品にはあまり見られない絵付け方法です。
[ ダミ ]
日本画の「濃絵(だみえ)からきた名前のようですが、磁器の表面を模様や地色で塗りつぶす方法です。
金ダミや呉須ダミがあります。
[ マーブル(スプレー吹きぼかし 大理石風) ]
スプレーで数色の色を使い大理石の柄をつけ、その上に彩色する方法。
アメリカでマーブルと呼ばれ親しまsれている。
[ 漆蒔き ]
上絵の地色をむらなく塗るため、最初に筆で漆を塗り、さらにタンポンなどでむらなく丁寧に漆を塗りつけます。
その上に粉末絵の具を振りかけて彩色します。深みのある美しい色地肌が得られます。
[ コバルト(瑠璃色) ]
俗に言うコバルトブルーよりも少し濃く深みのある美しい青です。材料には酸化コバルトが用いられていました。
製陶用としてはドイツ・マイセンの製陶所によって開発されました。
フランス・セーブル窯のコバルトが「王者の青」として特に有名で、ヨーロッパ王室でも愛用されていました。
[ 金液(水金) ]
王水(濃塩酸と濃硝酸を3:1の割合で混合した溶液)で金を溶かし液状にしたもの。
この金液を顔料として陶磁器の金彩を施します。
[ ラスター彩 ]
オールドノリタケではアール・デコの作品に多く使われています。
パール状の美しい輝きがあり、自立し始めたヨーロッパの女性たちに熱狂的に愛されました。
ラスター彩は9~14世紀にイスラムの陶器に使われていたが、その後使用されていなかったがアール・デコの彩色法として復活しました。
ここで使われていたラスターは金属や貴金属を王水で溶解し、さらに参加バルサムを化合させ、それを絵付師やすくするために松脂(ロジン)を添加して作られました。
[ 転写絵付け ]
オールドノリタケはハンドプリント(手描き)を基本としていましたが、日本の絵師たちにはヨーロッパの王女や僧侶などの肖像画を描くことができませんでした。
そこでヨーロッパですでに使われていた転写紙を使用しました。
転写紙は、台紙に陶磁器用絵の具を用いて絵柄を印刷したもので、写し絵のように陶磁器の地肌に絵柄を写します。
そのため、ヨーロッパにも同じ絵柄の陶磁器がたくさんあります。
[ ポートレート(肖像画) ]
転写絵付けにより人物画を絵付けした製品です。当時人気のある女王や僧侶などがモデルとなっていました。
プロシアの女王・マリー・ルイーズやレカミエなどの婦人像がよく使われました。